名は敏恵、第二代会長田中金峯に五十年余に亘り師事。
昭和四十七年一月、第三代山口昭峯の後を受けて第四代会長に就任、昭和四十四年四月からの「書の心」の発刊に続いて「書心展」の開催と、病弱であった第三代会長山口昭峯をたすけて、副会長として会員の指導にあたった。特に書心展の上野東京都美術館での開催実現には多大な尽力があった。何事にも率先垂範し、会の隆盛に尽した。
 

河合秀峯書

 務本(論語より)

  本を務む、本立ちて道生ず。