名は惠子。漢字は中川金雞に師事、都立新宿高等学校時代から第三代会長山口昭峯に師事。かなは昭和五十一年より第七代会長(現最高顧問)田中金川に師事、顔法・かなの研鑽を積む。昭和五十五年に蕙風支部を開設し子弟の指導に当たる。昭和六十年、夫君の転勤に伴い熊本在住中に平方研水に師事、篆刻・篆書・隷書にも新境地を広げ、意欲的に篆書・隷書の会員への普及に力を注いでいる。
またパソコンの導入、経理システムの改善、ホームページ開設など、新しい時代に相応しい本部体制の強化にも力を注ぐ。
座右の銘は父方の祖先である江戸後期の儒者・漢学者である廣瀬淡窓の一首「難しと思ふ事をもしてみれば、いつの間にかは安くなるなり」。努力を惜しまぬ清廉な先生を慕う会員は増すばかりである。
伝統を継承しながら新しい時代に応えるリーダーとして期待され、平成二十六年に会長、平成三十一年に名誉会長に就任。

 

嶋田蕙窗書 

『 邵康節 安楽窩中吟』