名は安太郎、字は誠卿。長年山口半峯に師事し、昭和十四年一月初代会長死去にあたり、その後を継ぐようにとの遺命により、第二代会長として日本書道研究会を主宰、顔法の維持と次代にその書風を残すことに尽力した。
昭和二十年敗戦という日本の歴史はじまって以来の大変革時に書道人の有志の方々と協力し書道の復興に尽力した。特に学校教育の中に書道を組み入れることには大いに功績のあった一人。清廉寡欲時流を追わず顔法を基礎に常に精神溌溂たる書風を以て後進を指導。
 

田中金峯書
 鶯啼春色曙(長 三洲 作)

  鶯啼く 春色の曙
昨夜 雨 沙(すな)に鳴る 。
人 浅眠の裏(うち)に在り、
軽寒 落花を夢む。